第24話「錯綜の想い(前編)」

 どこかわからない暗闇の中に、少年はいた。冷たく、目をこらしてもどこまでも続く闇の中で、ただ一人佇んでいた。

 恐怖はない。彼の中にあるのは、ただ一つの強い決意。たった一つの、強い想い。

 ただそれだけを胸に、少年は戦う。たとえそれが、悲しみしか生まない戦いであると知っていても。

 その時、暗闇の奥で“何か”が蠢いた。

 ゆっくりと、圧倒的なプレッシャーを伴って、それがこちらに近付いてくる。

 少年は身構え、その“何か”に備えた。足音、振動、足音、振動。一つずつ確実に大きくなり、その度に恐ろしいほどのプレッシャーが少年を襲う。決して逃げだすことがないよう、後ろ足に力をこめた。

 やがて、少年の目の前にそれが姿を現した。

 ゆうに10メートル以上はあろうかという黒い巨体。背中に生えた二本の翼が大きく開き、金の両目が少年を視界にとらえる。

その刹那、それはその巨体に見合わぬすさまじいスピードで少年に襲いかかった。剥き出しになった、少年の身体ほどもあろうかという凶悪な歯が、あっという間に眼前に迫る。そして……。

 ダンが目を覚ましたのは、きちんと整えられた白いベッドの上だった。額にはびっしりと玉の汗が浮かんでいる。それを無造作に左手でぬぐい、ダンは大きく息を吐いた。

 今見た夢は、一体何だったのだろうか。ただの想像の産物か、あるいは……。

「ダン?」

 すぐ隣で、自分を呼ぶ声が聞こえた。

「ユリ……」

 ベッドの横に備え付けられた丸椅子に、ユリが腰かけていた。夢のことで頭が一杯だったのか、呼びかけられるまで全く気がつかなかった。

「平気?」

 心配そうな顔で聞いてくる。ダンはすぐに平静を装って答えた。

「心配ない。ちょっと変な夢を見ただけなんだ」

「どんな夢?」

「話すほどのものじゃない」

 話題を打ち切るようにそう言って、自分の身体を確認する。ところどころ痛みは残っているが、なんとか無事でいられたようだ。

「ユリ、すまない」

「……何が?」

「奴を倒せなかった。全力でやってはみたが、やはりダメだった。父さん達の、村の皆の仇を取れなかった。すまない……」

 重々しい口調で、ダンはまずそのことを詫びた。最後の攻撃が届かなかった瞬間、彼の頭を最初によぎったのは、まず彼女に謝罪することだった。だから、何よりもまず初めにその言葉を口にした。

「……3回目……」

 だが、その言葉を聞いたユリは、なぜか悲しそうな表情を浮かべてそう呟いた。

「え?」

「覚えてないかもしれないけど、ダンが目を覚ましたのはこれで3回目なの。そして、3回とも最初に同じことを言ってる……」

「3回目……?」

 まったく覚えがなかった。ついさっきまで、ずっと夢を見続けていたと思っていたのに。

「ま、待ってくれ。あれから一体何日過ぎたんだ?」

 あれ、とはもちろんダンが深紅の騎士と戦った日のことである。

「一週間。その間、ダンは目覚めては寝て、目覚めては寝てを繰り返して……」

「一週間!? そういえば、奴はどうなったんだ? 俺はどうやって逃げて来た? 他の人達はっ……!」

 矢継ぎ早に質問を投げかけるダンの口に、ユリは右手で無理やり蓋をした。

「もういいでしょ。後でゆっくり聞かせてあげる。今はちゃんと休む時」

「だが……!」

「ダン……」

 ユリがぐっと顔を近づける。悲しみとも怒りともとれない、言い知れぬ強い感情のこもった瞳。ダンは思わず言葉をつまらせた。

「この一週間、私がどんな気持ちだったかわかる? ダンが寝てしまう度に、もう二度と目を覚まさないんじゃないかと思って……不安で……」

 その時、ダンは初めてユリの顔に濃い疲労の色が浮かんでいるのに気がついた。目の下には薄くクマができており、唇も紫色に近い。なぜ、自分はそんなことにも気が付かなかったのだろう。

「ユリ、その……」

「別に謝ってくれなくてもいい。私が勝手に心配しただけだもの。でも、そろそろ限界かも……。ルーファってお医者さんも今度目を覚ましたら大丈夫だろうって言ってたし、少し安心した。私も休むね」

 そう言って、ユリは椅子から立ち上がると回れ右をして出口に向けて歩き出した。だが、数歩行ったところで立ち止まると、ダンに背中を向けたまま切り出した。

「ねぇ……ダン」

「なんだ?」

「シリアって、誰?」

 その質問に、ダンは何か重いもので突然頭を殴られたような衝撃を受けた。

 出発の前、自然と口から漏れた名前。どこか懐かしい、そして愛おしい響き。しかも、その名前が出たのは他ならぬユリに呼び止められた時だったのだ。

「……わからない。わからないが、ただ……」

 ダンは答えに窮した。実際、シリアという人物が誰なのかはっきりとしていない。もしかしたら、架空の人物の可能性だってある。だが、

「……とても大切な人だった気がする……」

 それだけは、間違いない事実であるように思えた。

「そう……なんだ……」

 ほとんど聞き取れないような小声で、ユリがそう呟く。その声は、少し震えていた。

「だが、どんな関係だったのかはよく……」

 ダンがさらに説明を続けようとする。だが、その説明が終わる前に、ユリは小走りに部屋の出口に向うと、扉をぴしゃりと閉じてしまった。

 ユリの出て行った扉を、ダンはしばらく無言のまま見つめた。

 もしかしたら、自分は取り返しのつかないことを言ってしまったのかもしれない。

 小さな後悔の念を抱きながら、ダンは再びベッドに身を横たえると、まどろみの中へと落ちて行った。

第24話 終